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| 一匹のひつじのホームページです。教会しかあなたを救えないってほんと?。わたしたちが、主を呼び求めるのに教会の認証が必要なのでしょうか。 もし、そうなら、主の残された救いは、はなはだ中途半端で、不完全なものです。 教会とうまくいかないひと、兄弟姉妹とのコミュニケーションがとれないひと、仕事柄礼拝にでれないひとは、救われないことになります。 もし、はみだして、迷ったなら、ひとを見ずに、主を見あげ求めましょう。 なぜなら、神のお約束は、完全で完璧だからです。いっさいひとの儀式的な認証や手続きをふみません。 |
わたしたちが、いま、ここにいるのは、希薄な信仰や行いからではなく、神の愛と、許しと、哀れみに、ほかならないからです。 |
| ■ | 参考にしたのは初代教会のミサ最古の資料と言われる「聖ヒッポリュトスの使徒伝承」(オリエンス宗教研究所http://www.oriens.or.jp/)を中心としました(以下、伝承と略。1章〜43章まであるので伝承7のように略記する)。少し高いですが、興味のある方はご購入ください。(火の洗礼を祈る小羊) |
| ■ | 病や老齢で体が動かない人、礼拝に出れない人、今メッセージを聞きたい人は(現在サイトリューアル中のようです。) http://www.yokota-church.info/ |
| 横田キリストの教会/伝道者:野々垣正信 伝道者携帯 Softbank:080−3391-6764 japan4christ21@yahoo.co.jpまでどうぞ。 |
170 名前: アイ 投稿日: 2003/10/25(土) 21:43 子羊さま >天国については、私は、新約>使徒 なので、 >マタイ7:21 言葉より行い となります 新約>使徒というのは福音書のみを採用するということなのでしょうか?。マタイ7:21なのですが、「主の御心を行う」という部分で考えさせられるのが、ルカ23章39〜43なのですが、この犯罪人はイエスへの信仰によってパラダイス行きを約束されたように見えますよね? |
わたしたちが、哀れみ深い神から授かったのは、敬虔による信仰のはずです。神が見返りなしに一方的にくださった愛と許しと哀れみを、自分を中心に据えた、偶像信仰としていないでしょうか。
御利益(ごりやく)がないから、自分の得にならないから、 神様がしてくださらないから、だから自分の信仰が薄い、神の御心でなかったと。 そのことを誰も裁きません。ただ、そのいやしい、わがままな、よこしまな心が自分自身を裏切り、自分で自分みずからを殺しているのではないでしょうか。 わたしたちが、信じてなお悪くなることが、はたして神のせいでしょうか、永遠の許しと和解を与えられ、まだ、あれが足りない、これが足りないと、わが神に向かい呪いのことばを吐くのでしょうか。 多くのことは、努力と忍耐で、そのひと本人の問題です。金も地位も名誉も人間関係も。 しかし、どのようなひとも、努力と忍耐をしても勝ち取ることができないのが、わが神から与えられた、永遠の許しと和解だったはずです。 わたしたちが、最初に切り出された岩、掘り出された穴を常に思い起こして、最初の信仰を捨てるべきではありません。 そして、それは、わが神から、直接あなたに啓示されたものだったはずです。ひとや教会や世の中をみて、忘れ去るべきものではありません。 たとえ、あなたが、たったひとりになったとしても、あなたが捧げる礼拝は、それが、たったひとりでも礼拝です。 あなたが礼拝所であり神殿です。 わが救い主は、いわれたではありませんか。2人もしくは3人が、祈るとき、わたしも、その中にいると。数を数えてください。間違わないでください。あなたがひとりでも、主がおられるなら2人です、 |