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・・・カール・ポラン二―の論文や「経済人類学」の書物でもお読みください。私の専門ではない領域については、あくまで専門家の著作をお読みいただくのが良いはずです。
ここではとにかく、

レビ記や第2トーラー書("申命記")の背景となった時代のなかでもイスラエルの経済制度の変化に応じて1/10法の微妙な変化があって、その結果先に紹介したような食い違いが生じたこと。
ましてや現在の経済制度は本質的に異質なものなので、トーラーの1/10規定をそのまま現代に適用することは根本的に不可能であること。
  の2点をおさえておきましょう。


こうしたトーラー内部での1/10規定の食い違いは、後世の1世紀前半のラビ達をも困らせたようです。その結果、3種類の1/10を定めた場合もあったようです。Bruce J. Malina, Richard L. Rohrbaugh, "Social-Science Commentary on the Synoptic Gospels" (Fortress Press, MN) のP145に短い要約があります。私自身の翻訳で抜粋・要約して紹介してみます。

1/10税の3種類の形態、後に「第1の1/10」、「第2の1/10」、「貧者のための1/10」と呼ばれるものすべてが紀元1世紀のパレスチナには存在していた。・・・1/10の基本には、伝統的な再分配型の経済制度があった・・・1/10は本質的には、「聖なる土地」の産物によってイスラエル全員が養われることを示す象徴的な行為であった・・・
お分かりのように、ここでも1/10は基本的に「土地・農産物」の捧げ物です。貨幣は、その代用に過ぎません。
同書より、要約抜粋を続けます。

「第1の1/10」は7年の周期のうち第7年目を除き毎年収めるべきもので、結局は祭司のためのものとなった。祭司の経済状況とは無関係に、祭司が要求できた。「第2の1/10」は第1、2、4、5年目に収めるもので、献納者はそれを携えてエルサレムに巡礼に赴き、皆で祝宴に興じた。「貧者のための1/10」は第3と6年目に集められ、貧者のために用いられた。
・・・本質的な問題は、農耕社会において農地を持たない貧民がなぜ発生したのか、という問題だ。・・・マタイ福音書時代のトーラー解釈者たちのなかで本質を見失った者たちは、こうした「正義、慈悲、信仰」という本質的問題を回避してしまった。

法規定とその背景となる社会状況(この場合は、経済制度など)を無視してすべて規定を守ろうとすると、こうした奇妙で複雑な規定が発展してしまい、法規定の本来の意図は無視されてしまいます。

 

1>

人類の経済制度は、今のような貨幣経済・市場経済がずっと支配してきたわけではない。カール・ポランニーなどが明らかにしたように、この世界的支配は近代の現象である。
2> 経済制度自体が、申命記の記述内容にあるような農耕経済の時代と近代以降とでは、本質的に変質している。
3> つまり、法規定の前提となる制度自体が大きく変わったのだから、現代の我々は古代の1/10を仮に守ろうとしても、実は守りようがない。
4> また、トーラー内部の食い違いのために、ラビたちも1/10を実際にどう守ればよいのか苦労した。そのため非常に複雑な規定を発展させ、慈悲とか公平といった本質を見失う場合があった。


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