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要するに、「書物の呪縛」つまり書き記されてあるものを不変不動のものとして守ろうとする態度にとらわれると、いろいろおかしな結果を招きます。キリスト教は本来、復活された生命の救い主を信じるという「生命の希望」であって、「書物宗教」ではないはずなのですが・・・
ですが、「一匹のひつじ」が主な対象読者としているバイブルカルトの方々は、まさにこの「書物崇拝」にまともにはまってしまった方々です。ですから、彼らが1/10献金の根拠として頻繁に利用するマラキ書も見てみましょう。

マラキ3:8―10
人が神から盗むだろうか?なのに、おまえ達は私から盗む者らだ、だがおまえ達は尋ねる、「どうやって我々があなたから盗むというのですか?1/10と捧げ物だ。
呪われている、おまえ達は呪われた者らだ、私から盗む者たちだから、(おまえ達の)国全体が。1/10すべてを倉庫にもってこい、私の家に食べ物があるように。さあ、すぐに私を試してみよ、万軍の主は言われる、私がおまえ達のために諸天の水の門を打ち開いて祝福を(雨のように)注がないか、(そしてその祝福が)おまえ達の場所を埋め尽くしてしまわないか。

この個所の翻訳だけを見れば、確かに「イスラエルの民が1/10を正しく収めていないので、主が怒っておられる」ようにも見受けられます。
ですが、そもそも宇宙の造り主は、我々から供え物を受けないと怒られるような方なのでしょうか??我々の手から食べ物を受け取る必要がある方なのでしょうか??。
マラキ書の全体をよく見てください。

1:1−1:5
エドムへの審判
1:6―2:9
祭司達がイーカゲンな祭儀をしていることに対する非難が、かなり長く続きます。
2:10―16
妻への裏切りや異教徒との再婚に対する警告
2:17−3:5
審判の日
3:6−3:12
1/10の件
3:13−3:18
審判の書
3:19−24
恐るべき主の日の到来とエリヤ

 

 

全体として、YHWHへの心からの礼拝と信頼を失ったユダの集団に対して、どこに不信が現れているのかを告発し、YHWHに立ち返るよう警告している文章です。(なお、「神聖4文字」については、ユダヤ教徒の習慣も尊重してYHWHと表記します。)
かなりの部分が、祭司達のイーカゲンな祭儀に対する非難です。こうして全体を見ていただくなら、すぐに次の2つの問題に気づくはずです。
 
1> 1/10に関する部分を文字通りに現代に適用するのであれば、たとえば「目のつぶれた動物をいけにえとして・・・」といった個所などは、現代にどう適用するのでしょうか?「キリストの十字架によって、供え物は廃止された。だから、現代では礼拝への態度が問題となる」といった回答が、バイブルカルトではよく聞かれます。ですが、「供え物は廃止された」と言いながら、やはり供え物の一種であった1/10だけは「貨幣収入の1/10」に変形して温存するというのは、いったいどういう論理なのでしょうか?「キリストの十字架によって、土地の収穫物の1/10という規定は、貨幣収入の1/10に改訂された」とでも言うのでしょうか?? ^_^;
2> そもそも、本来1/10を納める場所であった神殿(それ以前には、礼拝用のテント)自体が、この2000年近く存在していません。現在では、代わりにモスクが建っています。


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