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I.
一貫性のない法規を、どう守ればよいのか?  
 
II.
    状況の変化に応じて、"法"は変わる  
 
III.
    マラキの状況  
 
IV.
    新約カノンでは?  
 
V.
    予想される反論  
 
VI.
    "本音"はこうでしょ?  
 
VII.
    「1/10献金」は、現代なら誰のため?  
 

付録

   

カルト指導者の方々のために:マタイ23:23par.の釈義

 
         


「一匹のひつじ」の結論を最初にまとめておきましょう。
1> 「1/10献金」は、古代イスラエルの経済制度を背景にして初めて意味があった。我々の住む市場社会にそのまま適用することは、「牛乳用の紙パックにコーラを入れる」ような無謀。
2> したがって、現在の貨幣・市場経済のなかで各人がどれだけを、どこに"献金"するかは、例によってアディアフォラである。つまり、各人がアガペーに基づいて決めればよいことで、聖書を基盤に率を強制できる根拠はない。
3> 要するに、「1/10献金を構成員の義務としないと、団体の財政が破綻してしまう」というのが"本音の理由"であろう。だが、あくまで個々人には所属団体/教会を選ぶ自由と権利がある。
"会員"にする前に、「我々の教会では全員に1/10献金を要求しているが、それでよければどうぞ」と断わっておくべき。そうした教会は、「1/10献金」に納得できない個人を無理に会員にすべきではない。
4> トーラーを良く考えるなら、「1/10献金」の本質は "神への捧げ物"というよりも(神は我々の金銭など求めておられない!)、"生産手段をもたない方々"への援助である。したがって、現代に「1/10献金」の本意を活かしたいのであれば、長期失業中の方々やストリートライフを強いられている方々、障害などの理由で仕事に就けない方々のために活用すべきである。


困ったことに、いわゆる「正統派」教会のなかにも「1/10献金」を規準としておられる団体があります。そうした諸教会の皆様にとって、上記の「一匹のひつじ」の結論は相当な問題発言であろうと察します。

そこで始めにお断りしておきますが、

1> 「一匹のひつじ」では、なにも「1/10献金を集めている集団は、カルトだ」と言いたいのではありません。アディアフォラである以上、教会員全員が合意して「1/10献金」を払う限りは、何の問題もありません。
2> ただ、「この教会に導かれたのだから、この教会に留まりなさい」などといった屁理屈で来た人を教会員にし、そして「1/10献金」を求める集団が、「正統派」のなかにも見られます。
あくまで、どの教会を選ぶかは個々人の自由です。「1/10献金」は納得できないという方には、「1/10献金」を求めない他教会を紹介してあげるべきです。
3> 先にも述べたとおり、現在の社会で多数の方々は「カルト」と「まともな教会」を見分けるのに、教理的知識は持ち合わせていません。大抵の皆さんは、「金に対する態度」で見分けています。「正統派」だというのであれば、金の扱いにおいても「正統派」であることを明示すべきです。

では、次のページから本論に入りましょう。


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